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小諸城 本丸御殿

goten-nantou.jpg
 小諸城本丸御殿図を描いてみました。
なかなか資料が無く現地の大きさから想像してみました。
参考物件(ぎょうせい 日本の城)に玄関がわの図面が有ることをしりました。
 紅葉谷の最後の黒門をぬけ左の枡形前方に石垣に挟まれてはいるものの、独立した門が立ちはだかる。
中門をくぐると玄関が右前方に見える。中門と玄関は少しずれている。
門の南にはそのまま庭に出れる垣根があったもよう。
廊下は東と南にあって時計の間、大広間、お使者の間、大書院、小書院などが所狭しと並び、奥には
殿様の住居があったと思われる。今の懐古神社の辺。
 一番古いと思われる図面は上田のアーカイブスにある仙石家の図面であろう。ただし正確さにはほど遠い図面であるが、だいたいの位置関係で現在の地図をかさねてみた。
本丸は小さいわりに3カ所も虎口があり無いのは馬場側の石垣だけである。
南は有一馬場側からの出入りが出来るので3重の囲いか門が有ったもよう。
もう一つイラストで右側の虎口は黒門をぬけ左ではなく右にいき天守閣に向かう道にも門がありやはり2重に出来ていた。
今は山城館が鎮座しているけど当時は天守閣よりのび隅櫓があったかもしれません。
山城館のあたりに殿様のための台所などあったもよう。
最初の玄関左イラストの下手前にはおおきな武者走りが今も階段状にみごとに残っている。
 南側廊下より突き出た部屋があり小さな庭に出る階段があったか!
 前にも述べましたが、小諸城の塀は下目板張りではなく白壁が多かったもよう。
デザイン的なものか下目板張りのほうが強固なはずだが・・・

 この想像図は学術的になんの根拠もありません。私の思いをただ想像したに過ぎません。あしからず!

 小諸城は小さな穴城ですが仙石氏が拝領したのは5万石です。それほどの小大名ではありません。先を急いだ関ヶ原前夜 武田氏等が築いた城に最小限の装備を施したと深く感じます。門の作り方も石垣があり その後門をつけたと思えてなりません。
                                               シマ


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