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小諸城天守閣をイメージ

CG天守

 永い間ご無沙汰でした。
 本丸についていろいろ考えてはいたのですが、何せ私の元にはほとんど資料らしきものは無く。古地図などでは本丸石垣までしか描かれておらず、本丸御殿の規模や石垣の塀、櫓、門など分かりません。現地の大きさから判断するしかありません。
天守台に登ってみて、三層の天守は思っているほど大きくはなかったはずである。
 自然の地形を利用して造られているのは分かったが、どうも城を造るのを急いだのか、門と言う門がどうも後から付け加えた様な気がする。
仙石氏が1590年に登城する前にかなり縄張りが進んでいて、10年後に関ヶ原なのでかなり短時間で築城をいそいだのであろう。5万石の大名にしては小諸城は少々小さかったのでは・・・

三層の天守をCGで現在の石垣にのせてみました。
犬山城のように三層四階も考えられる。家康の浜松城の規模は小諸城と同じくらいの三層である
入母屋造りに望楼をのせた形・・・
一層目は耐久性を考え下目板張り二層目、三層目は漆喰で白亜に。廻り縁は形だけで外には出られなかったかもしてません。
 当時瓦は天守閣と後の大手門のみで黒門、二ノ門、三ノ門はこけら葺きでした。
小諸城本丸は北、南に大谷で西は千曲川にせり落ちる自然の地である為一般庶民が常に目にすることは出来なかったはずである。僅かに見えたのは千曲川の対岸の上の方、ちょうど布引き観音あたりか、今の鹿島神社あたり北国街道の市町下がったぐらいの所。
穴城なのでなかなか庶民は見てないので絵図としても残っていない。

 CGは北西 水の手方面から描いています。
                            
                     *CGはあくまで私の想像です  シマ


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