FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

小諸城三の門入り口

花見櫓
 三の門にいたる坂の上には三の門に向かい左手に石垣がある。現在小諸藩九代藩主牧野康哉公遺徳碑、左に徳川秀忠公関ヶ原に向かう途中上田攻めで間に合わなかったとき小諸城のこの石で休息をしたと伝えられている石。
門に向かい右手は現在わずかな石垣しか残っていないが、現在のグランドキャッスルホテル手前まで石垣がくまれていた。足柄門があり三の丸との切り通しのように狭められていた。ホテルから東 大手門まで三の丸が存在した。花見櫓現在
 上の図下側が上田方面、上側が小諸駅。明治に小諸の発展の為鉄道が敷かれた。足柄門は移築され現存するが、三の丸は跡形も無くなってしまった。それに伴い鹿島の杜も駅前開発で移され、今は鹿島町の名前のみ残っている。昭和40年代まで過ごした小生は存在さえも知りませんでした。
大手門にいたる本町御門も国道18号を通すためなくなり、大手に降りる坂さえ分からなかった。
又本町市町の間に鍋蓋城があったが、迂回道路をまっすぐにしたため城の存在は今はプレートのみである。
 昭和30年代初め荒町も片側を道路拡張のため削られ明治大正の面影もうせた。
小諸を観光の街とするなら本町、荒町をもっと整備が急務であろう。隣町の滋野宿や海野宿は成功している。
藤村が愛した千曲川のスケッチのような自然に恵まれ風光明媚な小諸をせつに希望する。
 小諸城も古地図と現在地図を比べると石垣はかなり改ざんされている。又築城400年風雨土砂にみまわれ、修復された所、そのまま放置された所が多々ある。仙石秀久の描いた小諸城を私なりに解釈したい。
三層の天守閣とはどの様であったか、中仕切り門の存在等、興味があります。
つづく                                    シマ
スポンサーサイト

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。