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二の門絵図
 二の丸、二の門、南丸のかなり正確な図面が残っていることは心強い。二の門は二ノ丸と南丸の石垣に乗せるように造られていた。それもかなり強引に道に対して水平ではなく菱形に建てている。多分通行に支障をきたさない様設計されたものと思われる。
南丸はいくつかの櫓で防御されている事が読み取れる。小諸城は自然の要害を石垣でうまく補強している。

一騎坂より見たニノ門作図
二の門作図
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小諸城南丸、北の丸

minamimaru
 中仕切り門を抜けると右側は北の丸(現在は弓道場)、左側は南丸。弓道場の前に短い石垣をもうけクランクにして、前を遮り黒門橋は見えない。
 南丸は東二の門側は櫓を備える重装備かつ武者ばしりが出来、二の門から中仕切り門に上がり階段を降りると北の丸にぬけられる。
 一方黒門橋側は古地図では”明の地と書かれている所を見るとたんに石垣のみと思われる。
北の丸も築城当時は明の地と記されている。のちに殿様の隠居所が造られたと思われる。現在は弓道場としているが藤村の時代は弓道場は今の藤村記念館のあたりにあった。
 北の丸、南丸とも両脇は深い谷に覆われている。火山灰台地のため石垣も築けないほどもろく崖の上側だけ石垣が築かれた。とても人的に登るのは難儀であろうと推察される。
 四百年の歳月でかなり崩れたり浸食されている。築城当時は今ほど木々ははびこっていず、切り立っていたはずである。石垣もきっちり積まれていて面積的にももう少し広かったであろう。
ここまで見て来て小諸城は規模は小さいけど本丸に至までにこれほどの軍事装備を備えた戦時要塞であった。
今日では桜の名所だがそれは明治以後の話・・・
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