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小諸城失われた大手門内

小諸城大手門内
小諸城失われた大手門内
 近年大手門が再建され館内も見れる。
 現在我々が目にできるのは三の門から中である。明治に信越線を設置する為やもえずを三の丸を分断、解体、町づくりを進めた。それにより三の門内を懐古園とした。
 今回大手門から三の門に至 空白を絵画化してみた。古地図をもとに現在の地図を重ね1600年前後の築城当時を俯瞰で再現してみた。
 右上に北国街道本町から本町木戸より登城。木戸口の下を川が流れ支城の鍋蓋城を横断していた。
木戸口を入ると番所があり右に急坂を降りる。正面は鍋蓋城虎口にあたる。坂を降り切ると櫓を配した大手門(國の重文)。
 大手門をくぐると両側を石垣でかこむ。右側は広大な三の丸石垣の上に土塁がもられ内側は見れない。左側は大手門の守りで城で一番高い所に位置する。石垣は両側よりだんだんせばめられ又広くなる。突き当たりは鬱蒼とした鹿島神宮の森。
 右に折れると三の門に向かい一直線。右手は桜の馬場とよばれていたが馬小屋との記述もある。低い石垣の上に塀が設けられていた。一つには三の丸の目隠しか。ここから今のしなの鉄道(三の門に抜けるトンネル)まで坂を下る。現在でもかなりな坂である。
 天上から俯瞰してみると三の丸がいかに広大だったかが分かる。三の丸を平地にしょうとしたら三の門側の石垣は膨大な高さになってしまう。当時は三段ほどに整地されていたと推測される。
 坂をくだり終えると右手は三の丸の張り出しの石垣と左は赤坂木戸と少し崖の上に番所。右に折れると左手は三の門を守る花見台。現在は台だけだが当時はかなり重要な役目をになっていたようだ。長屋風の建物があった。右は三の丸への虎口でかなりの坂を登らねばならなかった。
 左に坂の下手に三の門が控える。右手は三の門よりつらなる太鼓櫓
三の丸虎口の北側には藩の人の通常門 足柄門があった。
 
 絵の上中央は北の市町木戸口から足軽屋敷、武家屋敷で町人の居住区と完全に分かれていた。禰津郭、馬場で北の守りを固めていた。
 
 今回は地図を元に割りだしたので高さとの兼ね合いが合わない所が出来たり、石垣の高さが合わなかったりしましたが、今の知るところを絵にした。
 次はもう少し絵画的に描いてみたいと思います。
 古地図はどれも違い、どれが本当の姿か分かりません。これはあくまで私個人のつたない資料からの描いたイメージです。ご理解ねがいます。誤字、脱字ご勘弁ねがいます。    シーマ

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